価値観の相違について

 時計が時を刻み続けるのが疲れてしまったのか。でも時を計れない時計は誰がどう考えても価値が成り立たない。共通の認識に迷って踊って、必要なことさえ解らなくなる。もし必要だとするのならばすべてを否定された訳でなにもかもがなくなってしまう。
 決して価値観にズレがあった訳ではない。正確に言うならば自分が小さかった。あなたの価値観に憧れていた。言葉、行動、愛情、すべてが一貫していて、全てが理にかなっていて。常に憧れていたしそうなりたいと思っていた。考え方は違っている部分もあったことは確かだけれど。でも道は違ってもたどり着く場所は同じだったと思う。それをしなかったのは自分に甘えがあったから。この環境に甘えていて、恥ずかしいという理由を盾にして。それを許してしまった自分の価値観を引き合いに出されたら弁解の余地はない。でもこれだけは信じて欲しい。気持ちに嘘を付いたことはないし、今でも真実を見つめて、向かい合って書いているということは。常に一緒にいたいし、安心して帰れる場所が欲しい。こんな単純なことが大切だったのを、はっきり言えない自分が情けなかった。相手に感じさせたことが真実として残り、なにも話さなかった自分にこうして言葉を言う権利はない。でもこうしているのは同じものを見て、同じ視線で感じて、そしてあなたに憧れてた。今でも憧れている。それだけは信じて欲しかったから。
 価値観の相違なんて簡単に言わないで。うまくまとまらなかったことをこうして書きとめておきます。いくら言ったところで変わらないが、今度自分が変われるように。価値観は同じだった、でも自分に甘えてしまった。なんて体のいい答えしか出来なかった自分が情けない。結局そう感じさせてしまったことが価値観の違いと言う言葉になって表れたのだと思う。思っているだけではダメで、感じているだけではダメで。今なら恥ずかしくなく言える言葉も空虚に包まれている。
 時間を大事にするということを学んだ。なんでって思うことをしてしまった自分はどれ程のものなんだろうって。等身大の自分ってなんなんだろうって。モラトリアムの時間をもらって、それに甘えてしまって。犬は追いかけられたら逃げるし、逃げたら追いかけて来る。安心が欲しいのか恥ずかしいからなのか。恋女房と恋旦那はきっと違うんだろうなぁとふと思いながらそんなことを考えてしまう。

 結局うまくまとまらないまま終わってしまう。眠れない時間を埋めるためじゃなく書きながら。自分を悪く言う勇気が自分にはなさ過ぎて、そして今の現実が幸せなことに気がつけない。自分に嘘を付くのがうまくなっていっている訳じゃないが、自分に正直になる前にうまい言い訳を思いついてしまうのか…
 でもそんな自分にさよならしなきゃ。そんな自分を戒めなきゃ。自分を理解するって掲げたけど、これが最初の一歩だと思う。多感な時期でもなんでもない。自分は結構いい歳なんだから。絶対これを見直したとき苦しい思いをしない。変わりたい。変わる。それをしなければ自分の存在も全てに嘘を付くから。男の価値を下げると言ったあなたの言葉は違うと思う。偽りのない言葉は伝えなければ意味がない。タイミングは悪いし、状況を最悪。だけれど決してそれは取り繕った言葉じゃないから。


 価値観が違う。それならばこんな思いは伝わらないのかも知れない。一方通行であるならばこの感情は自分だけのものなのだろう。悔しいけどそれが事実なのだから。
 ありがとうを言えないのは単なる意地に見えるだろうが違うんだ。自分に正直になって考えて、まだ言えないのは事実。それも大事にしていかなきゃダメなんだって。人生勝敗よりも、大きさなんだって気付けたんだから。こんなシンプルなことなんだったんだって解ったから。
 難しいことから逃げないで、全てに理由なんか付けないで。感情をすべて説明できるようになってしまったら今までのことも否定してしまう。人に言えることは自分からしなければならない。それを学んで今年は始まってしまったから。今年は幸せな年にする予定だったけど、その前に自分を固めます。そうしなければこれからなにもかも受け止められないから。卑屈にならずに話を全部受け止める。消化出来ないこともあるかもしれないが、はじめからやらなければ出来る訳がない。


 遅いですがこれを新年の抱負にさせて頂きます。

平成17年1月17日
西野 智彦

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