悪意の真実・善意の嘘について

 なんでみんな言わなくていいことを言って傷つけ合うんだろう。自分のことを棚に上げて言うつもりはないがそんなことをふと思う。解る嘘を付かれた時、攻めたくなる気持ちになる。普通に会話していて振り向いて欲しいとき、相手の嫌なことでもと思ってしまう。どちらもよくありがちな小学生の発想であり、独占欲である。

私の「盲目的愛情」と浮気癖は一見矛盾しているけれど、
この世界を歪ませる愛情の暴走を止めるために
浮気めいたことをして自分の気持ちを確かめる作業というのは
とてもとても重要なことなのだ。

この人を好きだと思う「我執」だけでしがみついているのか、
本当に相手のことが好きなのか。

それが見えなくなってしまうから、私は他の男の肌を「試して」みる。

不道徳だと非難されるかもしれないけれど、
私にはそれがどうしても必要なのだ。

世界に一人しかいない、としがみつかれて窮屈な思いをさせるより
相手にとってもいいことの気がするのだけれど、やっぱり何かがおかしい。

ことごとく、バランスが悪い。

わかってるのに、どうしていいかわからないのは、
私のこのちっぽけな世界の全てを賭けてしまうほど、
あなたを好きだからなんだよ。

 こんな文章をサイトで見つけて共感。それは相手の自分に対する愛情は信じられないけれど、自分の相手に対する愛情は盲目的に信じているから。太宰の一節に『ああ、私の愛情は、私の盲目的な虫けらの愛情は、なんということだ、そっくり我執の形である。』こんな文がある。


 悪意のある真実を言わないで。善意のある嘘を見抜かせないで。つまりは嘘を付かないで。そんな関係になって。相手のことを考えたから、嘘を付いたなんて逃げ道を作らないで。結局互いの間に横たわるものは嘘という真実でしかないんだから。

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